<出会った言葉や概念>

 

 

「起こっている出来事自体には、良いも悪いもない。そもそも固有の意味なんてない。
それを勝手に決めつけて判断し、一喜一憂しているのは、いつも人間。」

 

 

「この世界は全て、陰・陽が織り成してできている。決して一方だけでは存在しない。」

 

「AがAであるためには、非Aが必要である。
(もし全てがAならば、Aという概念すらも生じない。Aでない存在:非Aがあるからこそ、
それと比べることができ、AはAなんだと認識される)すなわち、Aがあると言うとき、
そのAの中には同時に非Aが存在している。なので、世界から都合良くAだけを取り出す
ことはできない。Aを取り出そうとすればするほど、より非Aが現れてきてしまう。」

 

 

「真空(無の空間)には、エネルギーが満ちている。」

 

「あらゆる素粒子は、場から生み出される。」

 

「素粒子には不思議な性質があって、空間で突然現れたり消えたりする。
この現象を、対生成、対消滅という。具体的には、1つの光子(素粒子)が、真空の空間
において、プラス電荷とマイナス電荷をもつ一対の粒子(陽と陰に分かれた2つの粒子)
として生成し(対生成)、また、それら対生成した陽・陰の粒子は、衝突して1つに戻る
(対消滅)。 この対消滅が起こるとき、大きな光のエネルギー(光子)が発生する。」

 

 

「全ては振動(波動)であり、その影響である。現実に何の物質も存在しない。
全ての物は、振動で構成されている。」

 

「自然界を形作るあらゆるものは、振動する極小のひもでできている。」

 

「電子(光)は、人が見ていないときには、空間に“波”として広がっているが
(1個の電子があちこち同時に存在しているような状態)、人が見ると(観測すると)、
その波は、瞬時に縮んで1点に集まり、“粒子”としての姿を現す。」

 

 

「この世界と異なった状態の世界が無数にあり、それが並行して同時に存在している
(多世界同時存在)。」

 

 

「世の中に絶対的な固定されたものはなく、「空間」や「時間」でさえも相対的にゆがんで
変化してしまう。(場所も、距離も、そもそも存在しない - 非局在性。)」

 

 

「この世界は私達の意識のみから成り、その意識は、表層の顕在意識と深層の潜在意識とからなる。
そして潜在意識は、マナ識と、さらにその深奥にあるアラヤ識とからなる。」

 

 

「私達が目にしているこの世界(空間)は、実は、2次元の平面から浮かび上がった3次元の
立体である(ホログラムのような幻の世界)。」

 

「時空は情報の基本単位からできていて、それらは“量子もつれ”現象を介して結び付いている。」
(量子もつれ:どんなに遠くに離れていても、一方の状態が観測によって決まれば、もう一方の
状態も瞬時に決まる。)

 

 

「神の世界は逆さまである。
(この世界は、鏡写しの世界であり、反対に映し出された世界。)
(5次元空間では、鏡写しの関係(鏡面対称)により、左右の反転が可能。)」

 

「私達は、内側から外の世界を見ていると思っているが、実は、外側から内の世界を見ている。」

 

「私達は、生から始まり死へと向かっているのではなく、死から始まり生へと向かっている。」

 

 

「恐怖があって、その恐怖から逃げたり追い払おうとしても、逆にその恐怖を強めるだけ。
恐怖の根元は、思考である。では、思考を止めることさえできれば恐怖はなくなるのか?
違う。その思考を止めようとしているのも、依然として思考だから。ではどうすればいいのか?
それは、思考することが恐怖の根元であることを、実際に見るしかない。言葉の上ではなく、
実際に観ること。」

 

 

「私たちは”思考”によって”問題”を解決しようと試みるが、実は、その”思考”によって”問題”が
引き起こされている。」

 

「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできない。」

 

 

「思考は、時間である。」

 

「時間は、流れていない。」

 

「あの世(常世)では、死ぬ瞬間と、生まれてくる瞬間とは同じ。」

 

「過去も、未来も、存在しない。 あるのは永遠の今、この瞬間だけ。それが、世界の全て。」

 

 

「同じ赤いバラの花を見ているようでも、実は、自分が見て感じている赤いバラ(の質感:クオリア)
と、他人が見て感じている赤いバラ(の質感:クオリア)とは、全く別ものである可能性があり、
それを否定することは、科学がいくら進歩しようとも原理的に不可能である。」

 

 

「同じ1つのこの宇宙の中に、75億人の人が住んでいるとみんな思っている。
でも実は、一人、一宇宙。
75億人の人がいれば、75億人それぞれに違った宇宙(世界)が存在している可能性がある。
赤いバラのクオリアの話と同じで、これを否定することは、原理的に不可能である。」

 

 

「私たちは認識の主体を、自然という領域から排除してしまう。私たちは、世界に帰属しない傍観者
の立場へと自分から退いていき、まさにこの手続きによって、世界は客観的世界となってしまう。」

 

 

「世界は存在するものとしてではなく、知覚されるものとして、私にただ一度だけ与えられている。
主観と客観はただ一つである。近年の物理学の経験の帰結として、それらの間の障壁は取り払われ
なくてはならない、と、言わざるをえない。なぜなら、そのような障壁は存在しないのだから。」

 

 

「見るものは、見られるもの。観察するものが、観察されるもの。
あなたと別ものとして存在する恐怖を、あなたが観察しているというのではなく、その恐怖こそが、
あなたそのものである。この根本原理が分かったとき、観察者と恐怖との間の分離はなくなる。」

 

 

「観念を通して世界を見てはいけない、直接、世界と接するのです。」

 

 

「” 花の美しさ ”というものがあるわけではない、ただ美しい花がそこにあるだけ。」

 

 

「愛であることと本当の自分であることは一つであり、同じことなのです。」

 

 

「愛とは、怖れを手放すこと。」

 

 

「悲しみそのものになれば、悲しみは存在しない、なぜなら自分自身が悲しみそのものだから。
そして、この悲しみそのものは、神の世界の愛、光そのものである。」

 

 

 

 

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